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にほん語スピーチコンテスト

第10回国際理解講座 (主催:たはら国際交流協会)

平成30年11月11日(日)に開催された在日外国人のスピーチ内容です。

1 トゥアン トゥイ リン さん ( TRAN THUY LINH)

 リンさんは、ベトナムのハノイ農業大学を卒業して来日7年目の技術者。今年(平成31年)7月に帰国予定をしている。日本に来てからも独学で日本語を勉強し、JLPT(日本語検定試験)N2合格、現在N1受験結果発表待ちの努力家。市内の菊・野菜農家で、専門知識を活かしながら働いるが、雇用主は「うちの様な小さな農家では、彼女の技術は活かしきれない。ベトナムに帰ってからは、もっと大きな会社で力を発揮して欲しい」と、べた褒め。
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テーマ  「 来日して思うこと 」
 みなさん、こんにちは。私はベトナムのハノイから来た、 TRAN THUY LINH と申します。
母国での日本に対するイメージは、一つ目にテクノロジーの国だということです。日本の自動車、電化製品、電子部品は性能が良く、故障が少ないのが特徴です。二つ目はアニメ。日本のアニメは進歩的で、発想がおもしろくベトナムでも人気があります。私が子供の頃、よく見たのは「どらえもん」と「ちびまるこちゃん」などでした。三っ目は銀座、秋葉原に代表されるような、にぎやかできれいな街並みです。
 7年前、初めて中部国際空港に降り立ち、名鉄電車で田原に向かうにつれ車窓から眺める景色が田んぼやキャベツ畑になって、不安とさみしい気持ちになりました。にぎやかな街並みがない。人もいない。買い物をするお店もありません。また、フリーWiFiもありません。来日してしばらくの間は、カルチャーショックの連続でした。それにホームシックが加わり早く帰国したいと思いました。げっそりやせ細り、みんなに心配をかけたこともありました。ところが、すでに7年になってしまいました。これは私の周りにいる日本人の親切なサポートがあったからです。悩みを聞いてくれたり、おいしいものを食べに連れて行ってくれたり、わからない事も親切ていねいに教えてくれました。
 ベトナムにいるときは、日本へ行って一番困るのは食べ物だと思いました。だから、塩とラーメンばかり持って来ました。ところが、意外や意外で食べてみると何でも口に合いました。特に、ウナギの蒲焼、回転寿司、納豆、抹茶ラテなどは大好物になりました。
 私の仕事は、電照菊と野菜の栽培です。土壌分析や農薬、病虫害のことは、勉強していましたので、とまどいなく馴染むことができました。ベトナムと大きく違うのは、製品に対するこだわりです。農産物の品必管理、安全性です。安心で安全な製品を消費者に届けるために栽培履歴を作成することです。また、出荷規格は細分化されています。どの農産物をとっても表示のとおりの内容で出荷されています。工業製品だけでなく、農産物にいたるまで Made in Japan の信頼性は、すばらしいことと思います。
 日本でたくさんの良い思い出ができました。たとえば、私のために宴会を多く開いてくれました。別の日には、お返しにベトナム料理を作って、ごちそうしてあげました。また、勤務先の人や、近所のおばちゃんが旅行に連れて行ってくれました。旅行先での失敗もありました。たとえば京都に向かう新幹線の中で「あっ、富士山が見える。」と叫んだところ、周囲からクスクスと笑い声が聞こえるではありませんか。ふしぎに思い、あとでそっと聞いてみると、それは富士山ではなく、伊吹山でした。このような失敗も数々ありましたが楽しい思い出です。それから、日本の四季の移り変わり、豊かな自然環境も楽しみの一つです。春の花見、夏のホタル、秋の紅葉、冬の雪景色などなどです。初めてスキー場へ行ったときは感動しました。結局、スキーはうまく滑れませんでしたが、ソリ遊びでも十分楽しめました。
 最後になりましたが、日本のおもいやり、おもてなし、製品の信頼性など参考になることをたくさん体験しました。
 将来は、いままでの経験を生かして日本とベトナムの友好交流に関わる仕事ができたら良いと思っています。
 ご清聴ありがとうございました。
(原文のまま掲載)


2  林 海蓮 (はやし かいれん) さん

  中国吉林省から二十年前に留学の為来日し、日本人と結婚して幸せな家庭を築いている。
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テーマ 「 花火 」
 私は林海連と申します。中国の吉林省から来ました。今日のテーマは「花火」です。
 花火と言えば、日本人は誰でもすぐ夏を思い出します。でも、中国では、花火と言えば、春節(いわゆる旧正月)を思い出します。中国の春節は日本の正月と同じく、大晦日の夜に、家族でテレビを見ながら新しい年を迎えます。
そして、夜になると町のあちこちで爆竹や花火が上がりだします。中国では古くから魔よけとして、年越しの夜に爆竹を盛大に鳴らし、花火を楽しむ習慣があるのです。爆竹・花火がピークに達するのは、年の変わり目の12時です。その瞬間を迎えると、町中の人々が爆竹や花火を打ち上げ始め、その爆音で話し声が聞こえなくなるほど!とも言えるすごさです。
 しかし、近年、爆竹による事件事故が多発しています。腕を吹き飛ばされたり失明したりする事故や火災事件が毎年報じられるようになりました。また、こうした爆竹による煙が大気汚染を深刻化させている他、爆竹を鳴らした後の大量の燃えカスがごみとなって道路に散乱し、深刻な社会問題になりつつあります。
ですから、私は花火に対して、あまりいい印象がなかったのです。なぜ花火は日本人にとってそんなに魅力があるのか?私には分かりませんでした。
 初めて日本の花火を見たのは滋賀県のびわ胡花火大会でした。その美しさに驚き、思わず歓声を上げました。空に大輪の花を咲かせ、きらめきながら散っていくような花火の美しさにみとれて、幸せな気分がいっぱいでした。花火は、人を笑顔にする。奇跡の光だ!
 日本人が花火を好きなのは、基本的には、中和を求める基本気質ですが、花火の時には自分のいろいろな感情を一緒に爆発させるように楽しめます。暗闇の中での大きな花火の音と、美しい花が夜空に咲くのはとても、日本の和の心に通じるものがあると言われています。
 そして、「一期一会」という言葉があるように、一瞬、一瞬を大切にして、同じ花火とは二度と出会えない、美しいものに喜びを感じる心があるのです。花火は楽しいけれど、同時に寂しく感じるのはそのためです。日本の花火は中国と違って、安全面と衛生面もきちんと管理され、気持ちを良く鑑賞ができるものですね。それから、私も花火が好きになりました。田原の花火も何回も見させて頂いたことがあります。
 今年は、田原に引っ越しし、初めて、田原の市民として、家の庭で、家族と一緒に、田原の花火を見る事ができました。
 花火が打ち上げられた瞬間、花火の光で、主人と娘の顔も輝いていましたモ。娘の大喜びの顔を見て、わたしも感動し、20年前に、スーツケース一つで、日本に留学して来た私、20年後に、こんないい家庭が出来る事は想像もできなかったです。そして、今に感謝し、これからも、家族との一瞬、一瞬を大切にして、楽しく、悔いのない人生を送ろうと思いました。
 以上、終わります。有難うございました。
(原文のまま掲載)


3  胡 榮婷 (こ えいてい) さん

 中国江西省宜春市から3年前に来日、3年間田原市内の車シート縫製会社に勤務し、平成31年1月帰国。数か月後には、再来日するとのこと。
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テーマ  「 日本の文化に触れて 」
 皆さん、こんにちは。私は胡瑩婷です。私は、幼いころからずーと恥ずかしがり屋で性格も内気です。今も同じです。こんな私を母は「外国で生活すれば、この性格も治る」と考えていました。
 このようなこともあり、私は、不安と漠然とした憧れを持って、中国の上海港から、船で日本にやって来ました。
 現在、ソーイング田辺という会社で働いています。日本の生活や仕事に慣れて、ちょっと退屈していたころ、一緒に働いていた中国の先輩から「日本語教室」に誘われました。日本語の上達と内気な性格を直すには「これは良い機会だ」と考えました。
 「日本語教室」は、たはら国際交流協会で行われています。先生は全員日本人で、中国の他にも、多くの外国人が来ています。私は、ここで多くの友達ができました。時々、日本語の勉強以外の行事もあり、私も積極的に参加しました。例えば、お花見、浴衣の着付け、抹茶の作法、田原祭り、料理教室、クリスマスパーティー、元旦の神社参拝、そして成人式への参加などです。日本に来て2年半になりますが、今までに多くの日本文化に触れることができました。これらの中で、私が一番興味を持ったのは、成人式で振袖を着たことです。中国にも漢服という伝統的な衣装があり、これは日本の着物とよく似ています。なので私は日本の着物が大好きなのです。
 ここで、少し中国の漢服と日本の和服の違いをお話ししたいと思います。中国では、多くの人が漢服と和服を正しく理解していません。前合わせ、長い袖など、一見似ているようですが、違いがあるのです。例えば、漢服は、袖が大きく丸く、袖口は縫ってありません。衿や衽の幅は和服より広いです。また漢服の帯は細く、履物、髪飾りにも違いがあります。着た人のスタイルを見ると、漢服は人を生き生きさせ、風格を上げます。一方、和服は、日本人の体形に合ったもので、人を細く見させ清楚な姿に見せます。
 中国は、多民族国家で、数多くの民族衣装があります。その地域に住む人たちの文化を象徴する民族衣装は、大切にしなければなりません。私は、中国人なので、中国人も、もう少し日本人と同じように、春節など、大切な行事の時には「民族衣装を着て 皆で街に出たら良いなー」と思っています。
 残りの日本の滞在期間は少なくなりましたが、私の内気な性格や恥ずかしがり屋は、まだまだ治っていません。しかし、今後も積極的に多くの日本文化を経験したいと思います。
 ご清聴有難うございました。
(原文のまま掲載)


4   ガリアルテ・ライザ さん 

  フィリピンから来日一年三か月。
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テーマ 「 本当に存在した素晴らしい国 」

 こんにちは、私の名前はガリアルテ・ライザ、27歳、フィリピンから来ました。今、田原市の西山町に住んでいます。ここにきて、1年3か月、日本の環境や技術や人々にとても驚いています。
 フィリピンにいた時の友達や同僚の話を少ししようと思います。彼らは、私に日本のことを話してくれました。それは、信じられないような、驚いた話でした。言葉だけでは説明できないくらいに「そんな国は本当にあるの?」と思いました。おそらく、このスピーチの後に私が思っていることが分ると思います。
 では、今から、この国がなぜ素晴らしいのかを私の経験からお話します。
 まず最初に「規律正しい」ということです。日本人はどのようにルールに従うか知っています。私は、信号の近くで交通整理をもする人や警察官の人をめったに見ませんし、車はスピードオーバーをしません。誰も見ていなくてもルールを守ります。
 そして、礼儀正しいです。日本人に会うとき、いつも彼らは頭をもさげてお辞儀をしてくれます。彼らは私が日本人ではないけれど、国籍に関係なく、挨拶をしてくれますから、私はいつも「ありがとうございます」といいます。
 次に、「環境にやさしい」ということです。日本は私の知っている唯一、川、海、側溝道路にゴミや吸い殻やガムがない場所です。川にはカメがいっぱいで、魚や鳥はとてもきれいです。私の国では、森で、人が自然の動物を捕まえて食べてしまいます。日本の森には、見たことがないくらい、動物がたくさんいます。
 それから、時間意識がとても高くて、バス、電車、や病院のスケジュールにもとても驚きました。私は実習生として、時給でお給料をもらっていますから、時間の大切さを学びました。
 なぜ日本人は規律正しく、礼儀正しく、環境にやさしく、時間意識が高いのか不思議に思いました。フィリピンの日本語のクラスメイトの一人が、これらのことを授業で質問しました。そして、私は日本人は子供のころから無意識に学校やうちで先生や家族から学んでいると知りました。私が見た限り、それは本当です。規則正しく、礼儀正しくしたりすることは、社会で独立して生活することは、自立への第一歩だと知りました。さらに、子どもたちは自分で学校に行きます。授業の後でも、一生懸命勉強しています。それは、将来自立して社会の中で生活するためや、いい仕事を見つけるためです。
 日本人が自立しているのは、すべてが教育が原点だと思います。私は今まで日本人が道路の隅で座って一日中いるのを見たことがありません。その代わりに彼らは、一生懸命に働いています。私の日本のお兄さんは、私に自立することを教えてくれました。60歳以上の人もまだ働いています。そして自分のことは自分でしています。私がスーパーへ買物に行くへとき、一台の車が止まって、一人のお年寄りが車から降りるのを見ました。私は彼らの年齢で車や自転車を運転することにとても驚きました。私の国では見たことがありません。
 もう一つ驚いたことは、「心がとても温かい」ことです、私が初めてこの国で働きだしたとき、わたしはフィリピンの家族、特に母に会いたくなりました。でも日本のお母さんは私を本当の娘のようにやさしくしてくれました。日本の家族と過ごす休日は、私が悲しい時でもいつも励ましてくれます。私の先生はいつも私が必要なときにそこにいてくれます。ためらうことなく、私やクラスメイトを勇気づけてくれます。
 私は自分の気持ちや経験や幸せを伝えるため、このスピーチをすることを選びました。日本は私にとって素晴らしい国です。私は自分だけでなく、他の技能実習生も同じような経験をしていると思いますが、実習生、特にフィリピンの仲間を代表して実習生として受け入れてくださったことに心から感謝しています。私たちフィリピン人はフィリピンの国を代表してここにいますから、私にとって日ごろの態度はとても大切なことです。私がフィリピンに帰ったら、自信をもって、日本のことを話すことができます。そして、私は「わたしはフィリピン人で、日本人ではありません。でも私の心の奥にはいつも日本人の気持ちがあります。」と言うでしょう。フィリピンで聞いたとき、それは想像以上の国と思っていました。しかし、そのような素晴らしい国は、本当に存在しました。日本に来られて、うれしく思っています。
 今日は私の話を聞いてくださり、どうもありがとうございました。
(原文のまま掲載)
 
  

 


 


by ts1305 | 2019-02-18 12:31