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第10回国際理解講座 (主催:たはら国際交流協会)

平成30年11月11日(日)に開催された在日外国人のスピーチ内容です。

1 トゥアン トゥイ リン さん ( TRAN THUY LINH)

 リンさんは、ベトナムのハノイ農業大学を卒業して来日7年目の技術者。今年(平成31年)7月に帰国予定をしている。日本に来てからも独学で日本語を勉強し、JLPT(日本語検定試験)N2合格、現在N1受験結果発表待ちの努力家。市内の菊・野菜農家で、専門知識を活かしながら働いるが、雇用主は「うちの様な小さな農家では、彼女の技術は活かしきれない。ベトナムに帰ってからは、もっと大きな会社で力を発揮して欲しい」と、べた褒め。
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テーマ  「 来日して思うこと 」
 みなさん、こんにちは。私はベトナムのハノイから来た、 TRAN THUY LINH と申します。
母国での日本に対するイメージは、一つ目にテクノロジーの国だということです。日本の自動車、電化製品、電子部品は性能が良く、故障が少ないのが特徴です。二つ目はアニメ。日本のアニメは進歩的で、発想がおもしろくベトナムでも人気があります。私が子供の頃、よく見たのは「どらえもん」と「ちびまるこちゃん」などでした。三っ目は銀座、秋葉原に代表されるような、にぎやかできれいな街並みです。
 7年前、初めて中部国際空港に降り立ち、名鉄電車で田原に向かうにつれ車窓から眺める景色が田んぼやキャベツ畑になって、不安とさみしい気持ちになりました。にぎやかな街並みがない。人もいない。買い物をするお店もありません。また、フリーWiFiもありません。来日してしばらくの間は、カルチャーショックの連続でした。それにホームシックが加わり早く帰国したいと思いました。げっそりやせ細り、みんなに心配をかけたこともありました。ところが、すでに7年になってしまいました。これは私の周りにいる日本人の親切なサポートがあったからです。悩みを聞いてくれたり、おいしいものを食べに連れて行ってくれたり、わからない事も親切ていねいに教えてくれました。
 ベトナムにいるときは、日本へ行って一番困るのは食べ物だと思いました。だから、塩とラーメンばかり持って来ました。ところが、意外や意外で食べてみると何でも口に合いました。特に、ウナギの蒲焼、回転寿司、納豆、抹茶ラテなどは大好物になりました。
 私の仕事は、電照菊と野菜の栽培です。土壌分析や農薬、病虫害のことは、勉強していましたので、とまどいなく馴染むことができました。ベトナムと大きく違うのは、製品に対するこだわりです。農産物の品必管理、安全性です。安心で安全な製品を消費者に届けるために栽培履歴を作成することです。また、出荷規格は細分化されています。どの農産物をとっても表示のとおりの内容で出荷されています。工業製品だけでなく、農産物にいたるまで Made in Japan の信頼性は、すばらしいことと思います。
 日本でたくさんの良い思い出ができました。たとえば、私のために宴会を多く開いてくれました。別の日には、お返しにベトナム料理を作って、ごちそうしてあげました。また、勤務先の人や、近所のおばちゃんが旅行に連れて行ってくれました。旅行先での失敗もありました。たとえば京都に向かう新幹線の中で「あっ、富士山が見える。」と叫んだところ、周囲からクスクスと笑い声が聞こえるではありませんか。ふしぎに思い、あとでそっと聞いてみると、それは富士山ではなく、伊吹山でした。このような失敗も数々ありましたが楽しい思い出です。それから、日本の四季の移り変わり、豊かな自然環境も楽しみの一つです。春の花見、夏のホタル、秋の紅葉、冬の雪景色などなどです。初めてスキー場へ行ったときは感動しました。結局、スキーはうまく滑れませんでしたが、ソリ遊びでも十分楽しめました。
 最後になりましたが、日本のおもいやり、おもてなし、製品の信頼性など参考になることをたくさん体験しました。
 将来は、いままでの経験を生かして日本とベトナムの友好交流に関わる仕事ができたら良いと思っています。
 ご清聴ありがとうございました。
(原文のまま掲載)


2  林 海蓮 (はやし かいれん) さん

  中国吉林省から二十年前に留学の為来日し、日本人と結婚して幸せな家庭を築いている。
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テーマ 「 花火 」
 私は林海連と申します。中国の吉林省から来ました。今日のテーマは「花火」です。
 花火と言えば、日本人は誰でもすぐ夏を思い出します。でも、中国では、花火と言えば、春節(いわゆる旧正月)を思い出します。中国の春節は日本の正月と同じく、大晦日の夜に、家族でテレビを見ながら新しい年を迎えます。
そして、夜になると町のあちこちで爆竹や花火が上がりだします。中国では古くから魔よけとして、年越しの夜に爆竹を盛大に鳴らし、花火を楽しむ習慣があるのです。爆竹・花火がピークに達するのは、年の変わり目の12時です。その瞬間を迎えると、町中の人々が爆竹や花火を打ち上げ始め、その爆音で話し声が聞こえなくなるほど!とも言えるすごさです。
 しかし、近年、爆竹による事件事故が多発しています。腕を吹き飛ばされたり失明したりする事故や火災事件が毎年報じられるようになりました。また、こうした爆竹による煙が大気汚染を深刻化させている他、爆竹を鳴らした後の大量の燃えカスがごみとなって道路に散乱し、深刻な社会問題になりつつあります。
ですから、私は花火に対して、あまりいい印象がなかったのです。なぜ花火は日本人にとってそんなに魅力があるのか?私には分かりませんでした。
 初めて日本の花火を見たのは滋賀県のびわ胡花火大会でした。その美しさに驚き、思わず歓声を上げました。空に大輪の花を咲かせ、きらめきながら散っていくような花火の美しさにみとれて、幸せな気分がいっぱいでした。花火は、人を笑顔にする。奇跡の光だ!
 日本人が花火を好きなのは、基本的には、中和を求める基本気質ですが、花火の時には自分のいろいろな感情を一緒に爆発させるように楽しめます。暗闇の中での大きな花火の音と、美しい花が夜空に咲くのはとても、日本の和の心に通じるものがあると言われています。
 そして、「一期一会」という言葉があるように、一瞬、一瞬を大切にして、同じ花火とは二度と出会えない、美しいものに喜びを感じる心があるのです。花火は楽しいけれど、同時に寂しく感じるのはそのためです。日本の花火は中国と違って、安全面と衛生面もきちんと管理され、気持ちを良く鑑賞ができるものですね。それから、私も花火が好きになりました。田原の花火も何回も見させて頂いたことがあります。
 今年は、田原に引っ越しし、初めて、田原の市民として、家の庭で、家族と一緒に、田原の花火を見る事ができました。
 花火が打ち上げられた瞬間、花火の光で、主人と娘の顔も輝いていましたモ。娘の大喜びの顔を見て、わたしも感動し、20年前に、スーツケース一つで、日本に留学して来た私、20年後に、こんないい家庭が出来る事は想像もできなかったです。そして、今に感謝し、これからも、家族との一瞬、一瞬を大切にして、楽しく、悔いのない人生を送ろうと思いました。
 以上、終わります。有難うございました。
(原文のまま掲載)


3  胡 榮婷 (こ えいてい) さん

 中国江西省宜春市から3年前に来日、3年間田原市内の車シート縫製会社に勤務し、平成31年1月帰国。数か月後には、再来日するとのこと。
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テーマ  「 日本の文化に触れて 」
 皆さん、こんにちは。私は胡瑩婷です。私は、幼いころからずーと恥ずかしがり屋で性格も内気です。今も同じです。こんな私を母は「外国で生活すれば、この性格も治る」と考えていました。
 このようなこともあり、私は、不安と漠然とした憧れを持って、中国の上海港から、船で日本にやって来ました。
 現在、ソーイング田辺という会社で働いています。日本の生活や仕事に慣れて、ちょっと退屈していたころ、一緒に働いていた中国の先輩から「日本語教室」に誘われました。日本語の上達と内気な性格を直すには「これは良い機会だ」と考えました。
 「日本語教室」は、たはら国際交流協会で行われています。先生は全員日本人で、中国の他にも、多くの外国人が来ています。私は、ここで多くの友達ができました。時々、日本語の勉強以外の行事もあり、私も積極的に参加しました。例えば、お花見、浴衣の着付け、抹茶の作法、田原祭り、料理教室、クリスマスパーティー、元旦の神社参拝、そして成人式への参加などです。日本に来て2年半になりますが、今までに多くの日本文化に触れることができました。これらの中で、私が一番興味を持ったのは、成人式で振袖を着たことです。中国にも漢服という伝統的な衣装があり、これは日本の着物とよく似ています。なので私は日本の着物が大好きなのです。
 ここで、少し中国の漢服と日本の和服の違いをお話ししたいと思います。中国では、多くの人が漢服と和服を正しく理解していません。前合わせ、長い袖など、一見似ているようですが、違いがあるのです。例えば、漢服は、袖が大きく丸く、袖口は縫ってありません。衿や衽の幅は和服より広いです。また漢服の帯は細く、履物、髪飾りにも違いがあります。着た人のスタイルを見ると、漢服は人を生き生きさせ、風格を上げます。一方、和服は、日本人の体形に合ったもので、人を細く見させ清楚な姿に見せます。
 中国は、多民族国家で、数多くの民族衣装があります。その地域に住む人たちの文化を象徴する民族衣装は、大切にしなければなりません。私は、中国人なので、中国人も、もう少し日本人と同じように、春節など、大切な行事の時には「民族衣装を着て 皆で街に出たら良いなー」と思っています。
 残りの日本の滞在期間は少なくなりましたが、私の内気な性格や恥ずかしがり屋は、まだまだ治っていません。しかし、今後も積極的に多くの日本文化を経験したいと思います。
 ご清聴有難うございました。
(原文のまま掲載)


4   ガリアルテ・ライザ さん 

  フィリピンから来日一年三か月。
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テーマ 「 本当に存在した素晴らしい国 」

 こんにちは、私の名前はガリアルテ・ライザ、27歳、フィリピンから来ました。今、田原市の西山町に住んでいます。ここにきて、1年3か月、日本の環境や技術や人々にとても驚いています。
 フィリピンにいた時の友達や同僚の話を少ししようと思います。彼らは、私に日本のことを話してくれました。それは、信じられないような、驚いた話でした。言葉だけでは説明できないくらいに「そんな国は本当にあるの?」と思いました。おそらく、このスピーチの後に私が思っていることが分ると思います。
 では、今から、この国がなぜ素晴らしいのかを私の経験からお話します。
 まず最初に「規律正しい」ということです。日本人はどのようにルールに従うか知っています。私は、信号の近くで交通整理をもする人や警察官の人をめったに見ませんし、車はスピードオーバーをしません。誰も見ていなくてもルールを守ります。
 そして、礼儀正しいです。日本人に会うとき、いつも彼らは頭をもさげてお辞儀をしてくれます。彼らは私が日本人ではないけれど、国籍に関係なく、挨拶をしてくれますから、私はいつも「ありがとうございます」といいます。
 次に、「環境にやさしい」ということです。日本は私の知っている唯一、川、海、側溝道路にゴミや吸い殻やガムがない場所です。川にはカメがいっぱいで、魚や鳥はとてもきれいです。私の国では、森で、人が自然の動物を捕まえて食べてしまいます。日本の森には、見たことがないくらい、動物がたくさんいます。
 それから、時間意識がとても高くて、バス、電車、や病院のスケジュールにもとても驚きました。私は実習生として、時給でお給料をもらっていますから、時間の大切さを学びました。
 なぜ日本人は規律正しく、礼儀正しく、環境にやさしく、時間意識が高いのか不思議に思いました。フィリピンの日本語のクラスメイトの一人が、これらのことを授業で質問しました。そして、私は日本人は子供のころから無意識に学校やうちで先生や家族から学んでいると知りました。私が見た限り、それは本当です。規則正しく、礼儀正しくしたりすることは、社会で独立して生活することは、自立への第一歩だと知りました。さらに、子どもたちは自分で学校に行きます。授業の後でも、一生懸命勉強しています。それは、将来自立して社会の中で生活するためや、いい仕事を見つけるためです。
 日本人が自立しているのは、すべてが教育が原点だと思います。私は今まで日本人が道路の隅で座って一日中いるのを見たことがありません。その代わりに彼らは、一生懸命に働いています。私の日本のお兄さんは、私に自立することを教えてくれました。60歳以上の人もまだ働いています。そして自分のことは自分でしています。私がスーパーへ買物に行くへとき、一台の車が止まって、一人のお年寄りが車から降りるのを見ました。私は彼らの年齢で車や自転車を運転することにとても驚きました。私の国では見たことがありません。
 もう一つ驚いたことは、「心がとても温かい」ことです、私が初めてこの国で働きだしたとき、わたしはフィリピンの家族、特に母に会いたくなりました。でも日本のお母さんは私を本当の娘のようにやさしくしてくれました。日本の家族と過ごす休日は、私が悲しい時でもいつも励ましてくれます。私の先生はいつも私が必要なときにそこにいてくれます。ためらうことなく、私やクラスメイトを勇気づけてくれます。
 私は自分の気持ちや経験や幸せを伝えるため、このスピーチをすることを選びました。日本は私にとって素晴らしい国です。私は自分だけでなく、他の技能実習生も同じような経験をしていると思いますが、実習生、特にフィリピンの仲間を代表して実習生として受け入れてくださったことに心から感謝しています。私たちフィリピン人はフィリピンの国を代表してここにいますから、私にとって日ごろの態度はとても大切なことです。私がフィリピンに帰ったら、自信をもって、日本のことを話すことができます。そして、私は「わたしはフィリピン人で、日本人ではありません。でも私の心の奥にはいつも日本人の気持ちがあります。」と言うでしょう。フィリピンで聞いたとき、それは想像以上の国と思っていました。しかし、そのような素晴らしい国は、本当に存在しました。日本に来られて、うれしく思っています。
 今日は私の話を聞いてくださり、どうもありがとうございました。
(原文のまま掲載)
 
  

 


 


# by ts1305 | 2019-02-18 12:31

第9回東三河日本語スピーチコンテスト
 平成31年1月27日(日) 愛知県新城文化会館小ホール
今年は、小中学校の部15名、高校生以上一般の部10名が参加した。この中から、私が、日本語ボランティアをしている「たはら国際交流協会」の2名のスピーチ内容をご紹介します。文字のみの掲載となりますが、外国から日本に学び働きに来ている若人の気持ちを知るためにも、お読み頂きたいと思います。

1  アラノ ミッシェル モレノ さん ( フィリピン )

 日本国とのEPA経済連携事業で来日し2年目になる。現在、田原市内の特別養護老人ホーム「福寿園」で働いている。日本語の勉強は勿論、国家試験「介護福祉士」合格に向けても勉強中。今大会では「優秀賞」を受賞されました。
 
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(1)  テーマ   「 もしも私が認知症になったなら 」

(2)  内 容 (発表者が作成した原文を、そのまま掲載します)

 みなさん、認知症という病気を知っていますか。
 認知症とは、いろいろな原因で、脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりしたために、さまざまな障害が起こり、生活するうえで障害が出ている状態のことを指します。例えば、物忘れをしたり、人の名前が思い出せなくなったり、ご飯を食べたこと自体を忘れてしまうのです。できて当たり前のことができなくなってしまいます。
 今後、認知症患者の数は、ますます増えていくだろうと予想されています。

 私は、日本とフィリピンの経済連携協定のもと、EPA介護福祉士候補者として1年半前に来日しました。フィリピンでは看護師として働き、今は日本の特別養護老人ホームで介護の仕事を学んでいます。

 日本で認知症のお年寄りのお世話を通し、より良い介護をするためにはどうしたらいいのかと悩む中で、「もしも私が認知症になったら」と考えるようになりました。これまでは、自分が認知症になるなんて考えこともありませんでした。しかし、私やここにいるみなさん、誰でも認知症になる可能性があります。皆さんは「もしもあなたが認知症になったらどうしますか」と尋ねられたらどのように答えますか。簡単な質問なようで、実は深く考えさせられるのではないでしょうか。認知症の人の立場に立って考えないと答えられないと思います。
 私は、施設へ出勤するたびに、利用者さんの「いつ帰れる?」「家に帰りたい」という言葉を耳にします。この利用者さんの言葉を聞くと、家族のことを思い出しさみしい思いをしているのではないかと悲しくなります。
 だから、もし私が認知症になったら、たとえ家族の負担になるとしても、施設には入所したくありません。残された人生を自宅で過ごしたいのです。施設に入所すると、家族のことを忘れてしまうかもしれません。
 フィリピンでは、自宅でお年寄りの世話をするのがほとんどです。実はフィリピンにはあまり介護施設がありません。また、施設に入所するにも保険がないので、誰でもが入所する余裕があるわではありません。自宅で家族や、民間看護師や介護士に見てもらいます。ですから、私もまた、残された人生は自宅で過ごしたいと当たり前のように思うのかもしれません。
 毎日家族と一緒に過ごせば、決して家族のことを忘れないと思います。毎日家族と一緒に食事をしたり、遊んだり、笑ったりする瞬間を記録して思い出を残します。写真や動画は、もし家族のことを忘れてしまった後でも、記憶を思い出させてくれるのではないでしょうか。
 以前、認知症に関する研究文献を読んだことがあります。毎日、読み書き計算や、趣味の裁縫などで記憶訓練を行うと、認知症の進行を遅らせることができるらしいです。だから、もし認知症になったら、その程度が軽いうちに訓練を始めようと思います。訓練で確実に進行を遅らせる保証はありませんが、試しても損はないですよね。私の頭の中には、忘れたくない思い出がいっぱい詰まっているのですから・・・。
 また、いつその時が訪れるかわからないので、私は家族に手紙を書くことにします。その手紙の内容は、今後迷惑をかけることへの謝罪と、世話をしてくれることへの感謝の気持ち、そして最後にもう一つのお願いをします。
 「もしも離れてくらしても、私のことを忘れないでください。時々私に会いに来てください。」
 この願いがかなえられれば、私は認知症になってもきっと幸せでしょう。忘れることも悲しいですが、忘れられることも同じように悲しいのです。
 みなさん、認知症になっても、家族同士、愛し愛されることを忘れなければ幸せだと思いませんか。
 ご清聴ありがとうございました。


 
2  グエン トゥー ハン さん ( ベトナム )

 アラノ ミッシェル モレノ さんと同様に、 EPA経済連携事業で来日し2年目、田原市内の特別養護老人ホーム「福寿園」で働きながら日本語の国家試験「介護福祉士」合格に向けても勉強中。今大会では「特別賞」を受賞されました。
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(1)  テーマ   「 上をむいて歩こう 」

(2)  内 容 (今回の発表の為に本人が事前に作成した原文を掲載。発表時の内容とほぼ同じとなっています)
 
 日本に来て、あっという間に一年が過ぎました。
 ある日、日本人に、「ハンさん、日本に来たことに後悔はありませんか」と訊ねられ驚きました。
 まだ、日本に来たばかりのころを思い出します。実は、後悔したことがありましたが、今は来てよかったと心からそう思います。
 
 私はベトナムの看護大学で4年間勉強し、看護師として病院に勤めました。日本へは経済連携協定のもと介護福祉士候補者として来日しました。ベトナムはまだ日本のような高齢社会ではありませんので、介護についての知識はほとんどありませんでした。初めて排泄介助を経験し、便や尿が服についたときはショックでした。その衝撃に加え、介護の仕事は何て難しい仕事なんだと感じ、ベトナムに帰りたいと思っていました。
 しかし、そんな状況には日ごと慣れていくものです。

 特別養護老人ホーム田原福寿園に勤め、お年寄りのお世話をするうちに、他者の気持ちに寄り添うこと、共感することの大切さを学びました。介護は人道的な仕事だと感じています。いつの間にか、利用者さんを自分の家族のような存在に感じるようになりました。故郷の家族と離れて暮らしている今、家族と感じられる存在はとしも心強いものです。おじいさんやおばあさんが元気だと私も元気です。仕事に行けばみんなが笑顔であいさつを返してくれる、そんな毎日が私を元気づけてくれます。
 
 もちろん、楽しい時もあれば、つらく悲しい時もあるのが人生です。ある悲しい出来事がありました。私がお世話をしていたおばあさんが突然肺炎で入院し、病院から「永眠しました」と連絡がありました。私は言葉が出ないほど悲しかったです。
 「毎日いっしょに洗濯物をたたんだね。」
 「魚が嫌いで、おいしそうにお肉を食べていたね。」
 「いっしょにリハビリをする約束、まだ覚えているよ。」
 「どうして、いなくなっちゃったの・・・。」おばあさんが座っていた席を見るたび、涙が出ます。私の手を握ってくれたぬくもりを忘れません。
 「♪うえをむいて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す 夏の日 ひとりぽっちの夜」
 いつもおばあさんが歌っていたこの歌は、日本の私の応援歌になりました。

 日本に来てから、優しく親切な人たちにたくさん出会いました。心から感謝しています。
 日本のみなさんなら「誇り」という言葉をよくご存じだと思いますが、私は介護という仕事に誇りが持てるようになりました。だから今は日本に来たことを後悔していません。私はラッキーガールです。

 「♪しあわせは雲の上に しあわせは空の上に」
 雲を見上げ、おばあさんの笑顔を思い出します。
 空を見上げ、ベトナムの家族を思い出します。
 上をむいて、一生懸命頑張ります!。

 ご清聴ありがとうございました。

(注)♪:本人が歌声で表現する。

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# by ts1305 | 2019-01-29 15:06

第8回東三河日本語スピーチコンテスト
平成30年1月28日(日) 蒲郡市民会館  
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 たはら国際交流協会「にほん語教室」から出場した、中国 夏漫(シャーマン)さんとフィリピン イラーデ ネスリー マカソさんが、日頃の努力が実り、最優秀賞、特別賞を受けました。順次スピーチの内容をご紹介いたします。



① 中国 夏 漫 さん
[ 題 名 ]  外国の生活から気づいたこと
[ 本 文 ] ( 原文)
 皆さん こんにちは
 7年前、中国南部の河口と言う、ベトナムとの国境沿いの町で、私は両親が営む宿の手伝いをしていました。
ある日、この宿に一人の日本人がやってきました。その人は、自転車で世界一周を目指して、ペタルを踏み続け、私たちの宿にたどりついたのです。
 今でも、その光景をはっきりと覚えています。日差しが強くとても暑い日の午後でした。宿の入口に、自転車を停め、オレンジ色のシャツに大きなリュックを背負い、真っ黒に日焼けした顔。それまでに出会ったことの無い、何か特別な人だなー!と感じました。でもその時、まったく思っていなかったのは、その男性が7年後、私の夫になるということです。残念ながら、彼は私と出会ったことで、世界一周の夢を途中で諦めることになりました。
 その後、私の両親に反対されながらも、私達は6年間の遠距離恋愛を経て、一昨年やっと結婚しました。そして、私は2016年4月から日本で生活を始めたのです。今の生活は非常に変化があり楽しいですが、中国と日本の文化・習慣の違いにカルチャーショックも経験しています。
 一番びっくりしたことを今からお話しします。初めて、夫の実家に行った時、夫と両親がお互いに、お礼や挨拶をちゃんと言っていたのです。これには驚きました。中国の私の家と違う雰囲気だったのです。中国の家庭では身内どうしは、「ありがとう や ごめんなさい」は、ほとんど言いません。なぜなら、家族が遠慮したり、気を使ったりしていると、家族の関係がよそよそしく感じられるからです。だから、私は両親に感謝の言葉を口に出して言ったことがありません。また、私が両親にプレゼントをした時にも、両親は心の中では嬉しいと感じていても「もう買わないでね。とか、お金を無駄遣いしないでね」と言います。私に「ありがとう」とは言いません。
 日本に来て、小さなことでも「ちゃんと」お礼を言う文化を知ったので、夫の家族から親切にして頂いた時、感謝の気持ちを正直に伝えることにしました。自分の気持ちが、ハッキリと伝わった時、心の中が、パッと晴れて、幸せな気持ちになりました。また、夫の両親から「ありがとう」と言われた時も、嬉しかったです。
 そんなこともあって、私は、中国の両親にも、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたくなりました。
 去年の4月に結婚式を挙げました。とても恥ずかしかったけれども、その時ついに初めて、ちゃんと両親に感謝の気持ちを伝えました。その時、うれし泣きしている両親の姿を見て、言えて本当に良かったと思いました。もしずっと中国にいて、お互いにお礼を言わないのが当たり前の生活だったら、多分一生両親に感謝の気持ちを伝えられなかったかもしれません。
 私は長年住み慣れた所から離れて、自分の知らない文化や習慣の中に暮らすことで、見方や考え方の違いが分かり、いろいろなことを考えさせられました。時には理解するのに時間がかかることもあります。でも違いがあるからこそ、様々なことに気づくことができたり、また勉強になったりすることがあると思います。
 これは、私が日本と言う外国で生活したからこそ、気づいたことです。
 どうも ご清聴ありがとうございました。

② フィリピン  イラーデ ネスリー マカソ  さん
[ 題 名 ]  私はネスリー、誰からも愛される名前を持った私
[ 本 文 ] ( 原文)
 皆さん、こんにちは。
 私はフィリピンの出身です。毎年たくさんの人が海外で働くためフィリピンを出国とています。フィリピンは出稼ぎ国家と言われており、私も生まれてすぐ母と離れて暮らし、父と祖母と叔母に育ててもらいました。
 叔母がつけてくれた私の名前は「ネスリー」といいます。名前の由来は、食品会社「NESTLE」です。フィリピンでネスレの商品は甘くてとても人気があります。私はネスレのチョコレートが大好きです。日本でもチョコレートのキットカットが人気ですね。家族は私にチョコレートのように甘い子になるようにとつけてくれました。「甘い子」というのは「愛くるしい子」という意味です。また、ネスレの製品の甘さのように、私の生活も甘くなり、その愛くるしさから誰からも愛されるようにとの思いも込められているそうです。
 日本では、名前の由来には漢字が大きく影響していると聞きました。私は日本で介護福祉士の国家試験に合格するために日本語を勉強しています。漢字はとても難しいですが、ひとつひとつに意味があり、とても魅力的ですね。
 そこで、私の名前を漢字にして考えてみることにしました。みなさん、私がどんな漢字を選んだのか想像してみてください。私が選んだそれぞれの漢字には素敵な意味があり、その意味は私の性格にぴったりするかなと思い、とても満足しています。では、皆さん、ぜひ私の発表する漢字を頭に思い浮かべながら聞いて下さい。
 先ず、ネスリーのネは、「値段」の「値」です。英語で「value」、つまり自分の価値について考えれば、私はとっても価値が高いと信じているので選びました。そして、ネスリーのスは、「素晴らしい」の「素」です。英語で「excellent」。私は、自分の人生はいくら大変でも、素晴らしいと思います。そしてこれからの人生もきっと素晴らしいだろうと期待をこめて選びました。最後の、ネスリーのリは、「お利口さん」の「利」です。英語で「advantage」、つまり長所と言う意味になります。私の長所は我慢強いところです。これは私の自慢の長所だから選びました。
 これを聞いた日本人の友達は「日本人の感覚とは違って面白い! とても素敵ね。」とびっくりしながらも、感激してくれました。ピッタリな漢字を選べて私はとてもハッピーです。
 私は今、高齢者介護の仕事をしています。話すことが大好きで、人と直接触れ合い、コミュニケーションをとりながら仕事ができることに喜びを感じています。私はこれからも日本で楽しく生活を続けていきたいと願っています。ネスリーという名前のように、誰からも愛される、なくてはならない存在になれるやうにこれからもがんばります。
 有難うございました。


    


# by ts1305 | 2018-01-31 18:08

④ 中国 江西省出身  熊小銀(ユウショウラン)さんのスピーチ
  2017.11.12(日) 主催 : たはら国際交流協会スピーチコンテスト
   熊さん(23歳)、彼女は、中国で電子関係の専門学校卒業したのち、暫く南昌市の空港でコーヒーショップの店員をしていた。日本語の勉強をしたいとのことで、2015年7月に来日した。現在、酪農農家で農業実習に励んでいる。来日一年で日本語検定2級に合格、その半年後には1級に合格した。日本の印象を「穏やかな社会、みんな優しい、ルールを守る・・国だ」と語る。
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「 題 名 」 笑 顔
「 本 文 」
 私は中国の江西省南昌市という人口500万位の町から来ました。日本に来て、三年目を迎えています。今では、中国人なのか日本人なのか分からないほど、日本の生活に馴染んでいます。今日は、日本に来て初めに気づいたことをお話しします。それは「自分の顔」についてです。
 多くの中国人は、自分の考えをハッキリと大声で相手に伝えます。これを見ている外国人は、中国人はいつも怒ったような顔をして話をする、と思いがちです。本当はそうではありません。お互いに外国語がわからないことや中国語の甲高い発音が聞く人にそうさせているだけなのです。
 私も中国にいた時は、自分の話し方や顔の表情を気にすることなく生活をしていました。例えば、久しぶりに友達や職場の同僚に会っても、また良いことをして褒められても、自分の話し方や顔の表情を気にすることはありませんでした。そのため時々、熊小銀は不愛想で冷たい人間だなーと思われることもありましたが、言葉で充分伝わっているのに、どうして笑顔までしなければならないのか、よくわからなく、それでよいと思っていました。しかし、日本に来てから少し考えが変わってきました。それは、この様な経験をしたからです。
 ある日、日本語を勉強しようと思い、中国人の先輩と一緒に「田原国際交流協会」を訪問しました。初めて日本人と直接一人で話をすることになったのです。私は、来日して日も浅く、とても緊張して日本語読みの自分の名前すらハッキリ言えませんでした。その時、相手をしてくれたM先生が「名前をここに書いてください」と笑顔でペンと用紙を差し出してくれたのです。私は、その優しい笑顔を見た途端にほっとした気持ちになり、心の不安が急に和らいだのです。初対面の人との心の距離が急に縮まったのを感じたのです。
 また、この様な事もありました。私の家の近所に60歳位のご夫婦が住んでいます。私や先輩、そのまた先輩も、ずっとこのご夫婦にお世話になっています。よく食事を奢ってもらったり、遊びに連れて行ってもらったりしています。日本語があまり上手でない私と話す時には、にこやかな顔で、、わざわざゆっくり話し、難しい言葉を使わないよう気を使ってくれます。
 以前、私は「どうしておばさんは、こんなに外国人に優しいの」と聞いたことがあります。そうすると、おばさんは「自分の娘が台湾の友達のところに遊びに行った時、その友達のご両親に大変お世話になりました。だから出来るだけ外国の人にも優しくしたいと思っているのです」と答えてくれました。おばさんは道で全く知らない人に会っても必ず笑顔で挨拶する人です。私は、このおばさんは心の優しさが自然に笑顔として現れてくる人だと思うのです。以来、私もそのおばさんを見習って、先に自分から話掛けたり笑顔で挨拶するようにしています。すると周りの人からも笑顔が返ってきて、私はとても幸せな気持ちになるのです。
 私は、今、この様に思っています。笑顔は何一つ無駄は無く、国や人種・文化・宗教・言語が違っていても、誰にでも通じる心の言葉です。「目は心の鏡」という諺がある様に、笑顔も心の美しさを映す鏡です「心の底から自然に出てくる笑顔は、友情への近道だ」とうことです。私も本当にそうだと思いました。だから私は、毎日、笑顔を絶やさない生活を心がけています。
 ご清聴ありがとうございました。

 (注) 本文は原文を掲示しています。
 

# by ts1305 | 2017-12-01 18:19

③ 中国 山東省出身 鍾亮さんのスピーチ
  


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[  題 名 ]  失敗から学ぶ
[ 本 文 ]
 皆さん、こんにちは、私は鍾亮(しょうりょう)と申します。
フタバ産業の一期生です。今日の発表のテーマは、失敗から学ぶ、です。
 失敗は、世界中の誰もが一生のうちで何らかの形で、数多く経験していると思います。失敗と成功は、裏腹の関係でありまして、人間の成長には大切なものです。どうして失敗してしまったのか自問自答の機会が与えられ、成功への道に導いてくれるからです。
 ここで、自分の失敗談を皆さんにご紹介したいと思います。
 三年前、中国の大学を卒業して日本行きの実習面接に参加しました。初めての正式な面接でしたので、とても緊張してしまい合格できませんでした。しかし、私にとっては、この失敗は、さほど大きな問題ではありませんでした。失敗の原因が、自分の緊張にあったことをその時、学んだからです。第二回の面接では、面接官の質問に冷静に答えられ合格し、日本に来る夢が叶えられました。
 今、フタバ産業で実習をしています。ここでもいろいろな失敗を経験しました。機械の操作ミスとかの原因で不良品を作り出したことがあります。しかし、不良品流出「ゼロ」が目標です。作業前点検を確実に実施し、異常が発生したら「止める、叫ぶ、待つ」の異常処置法を徹底し、作り出した製品を確実に検査すれば、不良品の数は必ず減少できると思います。このことを実感として学びました。
 そこで、私は、これらの失敗経験から「どうしたら失敗に勝ち抜き、成功に導かれるか」を考えました。先ず、第一に、失敗したら冷静にその原因を自分で探り。第二に、失敗経験のある人のアドバイスを聞く。成功の要因はみんな同じですけれど、失敗の原因はいろいろあるのです。第三点目は、よく先輩方と勉強し、失敗の原因に歯止めをかけること。この三点です。
 中国の思想家「孔子」が言っています。「三人行なわば必ず我が師あり」※、これは、自分の心の持ち方一つで、あらゆる人が自分の師になる、先生になる。と言うことです。
 最後に、皆さんに、この私の言葉をお送りさせて頂きます。「失敗を恐れず、失敗したら勇気を持って、人に接すれば必ず成功がまっている。」
 以上、ご清聴ありがとうございました。
(※)子曰く 三人行なわば必ず我が師有り
      其の善き者を択び之に従い
      其の善からざる者は之を改む




# by ts1305 | 2017-11-28 16:17